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2008年04月16日

ブラジルの展開

このような事をこう呼ぶんですね。本当に勉強になりました。

独立直後は旧宗主国だったポルトガルに代わって英国の投資を受け、「老いた母の代わりに金持ちの叔母を得た」といわれて飛躍的な経済的発展を遂げた。独立直後からウルグアイを巡ってアルゼンチンとシスプラチナ戦争を起こし、バンダ・オリエンタル(シスプラチナ州)がウルグアイとして独立するなどの失敗もあったが、それでもウルグアイへの影響力は大きく、大戦争終結後は植民地時代のウルグアイの領域の大きな部分(東ミシオネス州など)をブラジルに併合することを認めさせた。 1860年代には親英政策の下にパラグアイ戦争でパラグアイを完膚なきまでに破壊し尽くし、戦争が終わるとパラグアイの領土は一部ブラジルに割譲され、パラグアイそのものも政治的に事実上のブラジルの属国となった。その後はカシアス公やリオ・ブランコなどの尽力もあり、ギアナ三国、ベネスエラ、コロンビア、ボリビアなどの周辺国からアマゾンの辺境地を獲得することに躍起となった。ボリビアとの争いではアクレ共和国のような傀儡政権が樹立されることもあった。

20世紀前後から周囲をスペイン語圏諸国に囲まれていることの孤立感、および当時急速な発展を遂げていたアルゼンチンの勃興などに対処するために親米政策を採った。共和制革命直後のバルボーザ案新国旗に見て取れるように、この当時知識人のアメリカ合衆国崇拝は激しいものがあったことが窺える。 アルゼンチンとの対立はチリを交えて二十世紀初頭から1980年代まで続く軍拡競争を招き、アルゼンチン・ブラジル・チリはABC三大国と呼ばれるようになった。一方で親米英政策は第一次世界大戦、第二次世界大戦に連合国側で参戦したように激しいものがあり(アルゼンチンが独自外交を標榜して両大戦でドイツに好意的な中立を続けようと努力したのとは対照的である)、第二次世界大戦後も暫くこの政策は続いた。

戦後イギリスが没落すると左翼民族主義路線で親米政策から第三世界外交が続いたが、1964年にアメリカの内諾を得て起こされた軍事クーデターにより成立した官僚主義的権威主義体制は、いよいよ露骨に積極的な親米を掲げてアメリカに追従し、1965年のドミニカ内戦の際にはドミニカ共和国のポプリスモ政権潰しのための平和維持軍を率先して送り、その後軍部はペルーなどの多くのラテンアメリカ諸国の右翼反共軍事クーデターを支援した(時系列的には前後するが、パラグアイのアルフレド・ストロエスネル政権の成立にもブラジル軍の支援があった)。そして当然ながらこの露骨な親米政策はラテンアメリカ諸国からは「裏切り」だとみなされた。

しかし、1985年に民政移管すると、特に1980年代後半の冷戦終結後は南アメリカの大国としてアルゼンチンやパラグアイなどの近隣諸国のみならず、アジアやアフリカ、中近東諸国などとも全方面外交を行い、WTOやメルコスールなどを通して積極外交を行う他、没落したアルゼンチンに代わってラテンアメリカ諸国をまとめるリーダーとして国連改革を積極的に推進し、国連安全保障理事会の常任理事国入りを日本やインド、ドイツなどとともに狙っているとされる。また、ポルトガル語圏の一員として旧宗主国のポルトガルや、アンゴラ、モザンビーク、東ティモールとも強い絆を保っている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
柏デリヘル
大塚デリヘル

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